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喫茶文化を次世代に渡す「つなぎ役」でありたい

2015年8月31日
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京都で喫茶文化の継承に尽力する男がいる。喫茶 la madrague マドラグ店主、山﨑三四郎裕崇。廃業した喫茶店を亡き先代から継承し、老舗洋食店から看板メニューを伝承された、後継者問題のスペシャリストだ。喫茶文化を次世代に遺す「つなぎ役」になりたいと語る山﨑氏の素顔に迫った。

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「喫茶 la madrague マドラグ」店主、山﨑三四郎裕崇氏

私は喫茶店「喫茶 la madrague マドラグ」の店主を勤めております。「喫茶 la madrague マドラグ」は、かつて「喫茶セブン」という名前の喫茶店でした。「喫茶セブン」は50年ほど続いた老舗喫茶店だったのですが、後継者がおらず閉店の危機に直面していました。その店舗を受け継ぎ、新たに「喫茶 la madrague マドラグ」として開業したのが現在の店舗です。

当時の私は、京都の町屋や古い商店街を復活させることをコンセプトとしたカフェを運営する会社で働いていました。そんな中、知人の不動産会社から相談を持ちかけられました。「セブンという喫茶店のマスターが他界し、後継者がおらず廃業に追い込まれそうだ。常連客の方々が悲しんでいるのだが、何とかならないか」という相談でした。かねてより「いつか妻と2人で喫茶店を開きたい。妻が活躍できる、妻に似合うお店を営みたい」と思っていた私は、さっそく店を見せてもらうことにしました。

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老舗喫茶店「喫茶セブン」から継いだ店舗

妻と2人で店に入った瞬間、「どうしてもこの店で喫茶店をやりたい」と思いました。妻は事前に「こんな店をやりたい」とスケッチを描いていたのですが、その店舗は見事なまでに妻のスケッチとマッチしていました。まさに一目惚れのような状態だったのです。会社に事情を説明し後任に仕事を引き継いだ私は、妻と2人で「喫茶セブン」の復活に取り組むことになりました。2011年5月のことです。

「喫茶セブン」の復活プロジェクトは、店の改装工事からスタートしました。店の良いところを残しつつ、50年間の営業で傷んでしまった箇所を修復する工事です。妻の思い描いたイメージの店舗と、「喫茶セブン」50年の歴史を融合させる工事は3か月にわたりました。また、復活営業にあたり店舗の名前も変更することにしました。先代マスターの御子息から、「セブンを名乗っても良いが、その名前がプレッシャーやしがらみを生むかもしれない。店舗の名前は君たちの好きにしなさい」と声をかけていただいたのです。そこで私たちは店舗の名前を「喫茶 la madrague マドラグ」とさせていただきました。”la madrague / マドラグ”とは、妻が大好きなフランスの女優ブリジット・バルドー ( Brigitte Bardot ) の別荘の名前です。そして2011年9月、晴れて私たちは「喫茶 la madrague マドラグ」オープンの日を迎えました。

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店頭には「喫茶 la madrague マドラグ」と「喫茶セブン」双方の看板が掲げられている

「喫茶セブン」は古くからの常連客がたくさんいらっしゃるお店でした。常連客の皆様は「喫茶 la madrague マドラグ」として再オープンした後も店に足を運んでくださったのですが、皆様の期待に応えることは至難の業でした。どうしても先代のマスターと比べられてしまうのです。

当時の私は先代のマスターと比べ、人柄・技術といった人間としてのスキルが圧倒的に劣っていました。そのスキル不足を補うため、開店当初は苦労と努力を重ねました。常連の方に先代マスターのことを伺い、コーヒーの味を確かめてもらう。先代マスターに追いつくため、3か月ほどは試行錯誤の日々を送りました。

実際に店で働いてみるうちに、徐々にではありますが先代マスターの影を感じられるようになってきました。店内に設置されている物やその配置から、マスターの考えが汲み取れるようになってきたのです。常連の方から聞く話からも「マスターがどんな人だったのか」「どのような想いで店を営まれていたのか」といったことが見えてくるようになりました。こうして見えてきたマスター像を自分なりに解釈し、その遺志を継ぐ。この心構えを持つようになって、ようやく「喫茶セブン」を継ぐことができたと感じられるようになりました。

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老舗洋食店「コロナ」から受け継いだ「コロナの玉子サンドイッチ」

「喫茶セブン」を継いだ私たちですが、その活動が珍しかったのかテレビ局の取材を受けることになりました。その番組が放送されたことがきっかけで、ある洋食店の看板メニューを継がないかという話が持ち上がりました。京都のフリーペーパー「音読(おとよみ)」の企画で、京都の老舗洋食店「コロナ」の看板メニューである玉子サンドを継いでほしいという内容でした。

企画を頂いたのは2012年の5月。「コロナ」のマスターは存命だったのですが、その時点で御年97歳。後継者がおらず、2012年2月に「コロナ」を閉店させていたという経緯でした。私はかつて「コロナ」の近くにある純喫茶でアルバイトをしていたことがあり、休み時間によく「コロナ」で玉子サンドを食べていました。大好きな懐かしい味でしたので、私は喜んでその企画を受け、玉子サンドを継がせていただくことになりました。

「コロナ」のマスターに店まで来ていただき、実際に調理されている様子を隣に立って見せていただきました。詳しいレシピを教わり、ずっと使っていたソースを分けもらい、最後には私が調理した玉子サンドをマスター自らチェックしていただきました。そして「これならコロナの玉子サンドを名乗って良し」とお墨付きを貰った私たちは、「コロナの玉子サンドイッチ」をメニューに加えさせていただくことになりました。2012年6月のことです。今では「コロナの玉子サンドイッチ」は店の看板メニューになっており、「コロナの玉子サンドイッチ」を求めて多くのお客様に足を運んでいただけるようになりました。