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閉店の危機を救った「どうぶつドーナツ」誕生秘話

2015年9月14日
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神奈川県川崎市のドーナツ店「イクミママのどうぶつドーナツ!」愛らしいデコレーションの「どうぶつドーナツ」を求め、連日行列ができる人気店だ。閉店直前まで追い込まれた中で「どうぶつドーナツ」を生み出した中尾夫妻が、数々の困難に直面してきた過去を振り返った。

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ドーナツパティシエの中尾育美氏(左)とオーナーの中尾和善氏(右)

中尾育美さん(以下敬称略)

私たちのドーナツ店「イクミママのどうぶつドーナツ!」では、様々な動物たちをモチーフにした「どうぶつドーナツ」を販売しています。私はこの店でドーナツパティシエを務めています。ドーナツパティシエとは私が自称している造語なのですが、「ドーナツの美味しさだけでなく、見た目でも楽しんでほしい」「美味しさ+αでお客様に笑顔を届けたい」という思いから、自らをドーナツパティシエと名乗っています。

中尾和善さん(以下敬称略)

私はドーナツ店「イクミママのどうぶつドーナツ!」のオーナーを務めています。かつて食事に気を配らなかったが為に体調を崩したという苦い経験から、食の安全と健康の重要性を伝える仕事に就きたいと思い、ドーナツ店を開業しました。

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「イクミママのどうぶつドーナツ!」で販売している「どうぶつドーナツ」

和善

実は私、もともとドーナツやお菓子に携わる仕事をしていたわけではありません。私はかつてレンタルDVD店を営んでいました。当時の私は全くと言っていいほど食事に気を配っておらず、食事といえばファーストフード、コンビニエンスストアにお酒という状態でした。そんな生活を送っていたところ、案の定それが原因で体調を崩し、2度の長期入院を余儀なくされました。この時に私は身をもって「食べ物は健康に直結している」ということを学んだのです。

主治医から飲酒をやめるように言われ、私は食生活の改善に努めました。するとお酒を飲まなくなった代わりに、甘いものを好んで食べるようになりました。食べれば食べるほど甘いものの魅力に取りつかれていった私は、当時住んでいた京都で美味しいと言われる甘いものを調べ片っ端から食べ歩きました。そしていつしか、「将来はこんなお店ができたら良いな」という思いを抱くようになったのです。

しかし、私には飲食業のノウハウがありません。お菓子屋さんを持つということは、漠然とした夢でしかありませんでした。そんな中、東京に日本一美味しいドーナツ店があるという話を耳にしました。それを聞いた私は夜行バスに飛び乗り、そのドーナツを食べに行きました。そのドーナツを一口食べて、私はあまりの美味しさに衝撃を受けました。「なんて美味しいドーナツなんだろう」と心から感動したことを覚えています。同時に「こんな仕事がしたい!ドーナツ店をやりたい!」という思いがこみ上げてきました。この時の感動が、私たちがドーナツ店を開くきっかけになったのです。

さっそく私はドーナツ店開業に向けて情報収集をはじめました。すると、フランチャイズ方式で開業できるドーナツ店があることが分かりました。しかもその店のコンセプトは、自然派で体にやさしいドーナツというものでした。私がお菓子と出会うきっかけになった食の安全にもマッチしていたことから、私たちはそのフランチャイズに加盟しドーナツ店を開業することを決意しました。

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神奈川県川崎市の商店街にたたずむ店舗

和善

2009年12月、神奈川県川崎市に念願だったドーナツ店をオープンすることになりました。オープン当初は大盛況で、営業時間中に客足が途切れることが無いほどの繁盛ぶりでした。しかし、そんな状態は長くは続きませんでした。

ドーナツなどの「粉もの」は季節によって売れ行きの振れ幅が非常に大きい商品です。確実に売れるのは開店直後のみ、あとは夏場になるにつれ売れにくくなるという性質の商品なのです。私もある程度は売れ行きに波があるとは聞いていたのですが、その振れ幅は予想をはるかに上回るものでした。オープン直後の盛況ぶりが嘘だったかのように客足が遠のき、最初の夏を迎える頃には大赤字を計上するようになりました。この時私は、このままでは店が潰れてしまうと直感しました。

悪夢のような夏を、私たちは借金で乗り切りました。それからは朝から晩まで休みなく働き、僅かに出た利益で借金を返済する日々です。何とか借金を完済したのは翌年の5月末。昨年大赤字を出した夏は目の前に迫っていました。この現実を前にして、私は翌年の夏前で店を閉めることを決めました。毎日朝から晩まで働いても、利益が全く残らないのです。

最初の夏はある程度のプール金があったのですが、それにもかかわらず大赤字を出し借金をしなければなりませんでした。しかし今度は、そのプール金がゼロの状態から夏を迎えなければならなかったのです。周りのフランチャイズ加盟店も閉店が相次いでいて、「この夏秋冬で何か爆発的に売れなければ先はない」という状況でした。本当に崖っぷちまで追い込まれていたのです。