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ジャグリング日本王者が自らに課した処理すべき案件とは

2015年8月31日
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観光地の広場でひときわ大きな歓声を集める大道芸人がいる。パフォーマー、リスボン上田。ジャグリング日本チャンピオンに輝き、USJパレードジャグラーを経て大道芸の世界へ。観客に笑顔を届けるパフォーマンスの裏には、ストイックなまでに目標と向き合う求道者の顔があった。

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ジャグリング日本王者、リスボン上田

私がジャグリングと出会ったのは大学生の頃です。当時私はジャグリングではなく手品をする部活動に所属していました。私が大学生活を送った頃は就職氷河期で、手品ができれば就活の面接で有利になるかもしれないといった考えでした。

また、ちょうど当時はジャグリングというものが世間に認知され始めた頃でもありました。それまで海外の専門店に買い付けをしなければ手に入らなかったジャグリング用具が、国内の一部店舗で購入できるようになってきたのです。部活動の部員が手品用具を調達していた店でもジャグリング用具を取扱いはじめており、それを見た私は次第に手品よりジャグリングに興味を持つようになりました。そして、私は手品の部活動に所属しながらジャグリングに打ち込むようになったのです。

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ジャグリングを始めたのは大学時代のクラブ活動から

私たちが所属していた部活動は、年に1度公演を開くことを目的としていました。各部員に持ち時間が与えられ、その時間内で手品を披露するという形式です。その公演に、私は手品ではなくジャグリングで臨むことにしたのです。

ジャグリングとは道具を使った曲芸の総称で、様々な道具を使います。「ボール」と呼ばれるお手玉のようなものや、ボウリングのピンのような「クラブ」、中国ゴマの別名「ディアボロ」などです。私は数ある道具の中から最もポピュラーな「ボール」を選択し、公演に向けて練習を始めました。

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希望していた演目で舞台に立つことはできず、後輩に譲ることに

しかし、ある後輩部員が私と同じくボールの演技で舞台に立つことを希望し、ボールの練習を始めることになりました。部活動では同じ演目で2組のパフォーマーが舞台に立つことはタブーとされていたのですが、結局私と後輩の双方が同じ演目で舞台を目指すことになりました。

しかしそれから3か月ほどしたある日、先輩から演目を変更し後輩にボールの演技を譲ってくれないかと言われました。「お前は今から別の演目に取り組んでも公演までに仕上げられるが、後輩が今から別の演目に取り組むと公演に間に合わない」という理由でした。

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大道芸のショーで披露するデビルスティックのパフォーマンス

先輩からの説得を受け、私は演目を「デビルスティック」に変更しました。デビルスティックとは、センタースティックという棒を両手に持ったハンドスティックという棒で操ることで、センタースティックを浮かせたり回転させたりするジャグリングです。そして、私は3か月の遅れを取り戻すべくデビルスティックの猛練習を始めました。

そうこうするうちに年に1度の公演の日を迎えたわけですが、猛練習のおかげで私自身納得のいくクオリティーの演技を披露することができました。恐らくボールの演技を譲った後輩よりも良いものができたのではないか、少なくとも負けてはいないはずだと思えるレベルの演技でした。

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ショーの見せ場のひとつ、7ボールジャグリング

しかし、お客様からの評価は全くの別物でした。公演に来たお客様に対し人気投票のようなアンケートをお願いしていたのですが、その結果でボールの演技を披露した後輩が圧倒的に私を上回っていたのです。

その結果は、私にとって大変悔しいものでした。「ボールというジャグリングの王道を行く道具だから観客の印象に残ったのではないか」「もし私が後輩にボールの演技を譲っていなければ、この評価は私が得ていたのではないか」1年間の集大成として臨んだ公演は、私にとって大きな悔いの残るものとなってしまいました。

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スタート地点となったクラブ活動の枠を越えて、ジャグリングの活動を始める

公演でのアンケート結果を受けて、私は自分のパフォーマンスがどの程度のレベルにあるのか知りたくなりました。そこで私は、腕試しのつもりで外部のジャグリングサークルに足を運び演技を見てもらうことにしました。部活内での評価や公演のアンケートとは違った、ジャグリングに携わってきた方の評価を聞きたかったのです。

そこでの評価は「デビルスティックでここまで出来る人を見たことがない!」というものでした。その評価はうれしいものでしたが、今度は目に見える形でその評価を受けたいと思うようになりました。

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目指すは「日本人初のジャグリング世界大会ファイナリスト」

調べてみると、ジャグリングのコンテストというものが開催されていることがわかりました。世界中からトップレベルのジャグラーが集まるコンテストです。当時、まだ日本人としてコンテストの決勝の舞台に立った人はいませんでした。そこで私は、そのコンテストで決勝進出を果たすことを目標に動き始めました。「日本人初のジャグリング世界大会ファイナリスト」という、明らかに目に見える形で残る評価を目指したチャレンジです。その時私は大学4年生になっていたので、大学生活の集大成として何かを成し遂げたいという思いもありました。

2001年夏、いよいよ私はアメリカで開催されるジャグリング世界大会に挑戦することになりました。日本人出場者は私を含めて2名。しかし結果は予選落ち。もう一人の日本人出場者は見事決勝進出を果たし、日本人初のジャグリング世界大会ファイナリストの称号は彼のものとなりました。