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日本とカナダ、自らが持つ2つのルーツを活かして

2015年8月31日
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日本人とカナダ人のハーフ。これを聞いた多くの日本人は「カナダとのハーフなんて羨ましいな」と思うだろう。ただ、現実は全く異なるものだという。日本人の母親とアジア系カナダ人の父親を持つ小林智一(英名David Walter Lee)氏に、ハーフとして日本で生まれ育った半生について聞いた。

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日本人の母親とカナダ人の父親を持つ小林氏

私の母は日本人で、父はカナダ人です。母はカナダのバンクーバーでホームステイをしていたことがあり、そこで父と出会いました。ホームステイを終えた母は日本に戻ってきたのですが、帰国後も父と文通を続けていたそうです。その後父が日本まで母を訪ねてきて結婚することになったそうですが、両親の出会いを話すのはちょっと照れくさいですね。

両親は結婚後しばらくの間はカナダに住んでいたのですが、私の出産を機に日本に移住することになりました。そして日本で私が生まれ、以降家族そろって日本で生活しています。家庭でのコミュニケーションは日本語がメインです。両親は日本語でコミュニケーションをとっていますが、母が父に怒るときだけ英語になります。「私の言っている日本語を理解していないな」と思うと、英語でまくしたてるのです。

私と母は日本語ですが、父とのコミュニケーションは、父が7割英語でしゃべって私が7割日本語で返しています。お互いがそれぞれ楽な言語で会話するといった感覚です。

父はアジア系カナダ人3世で、父の祖父がゴールドラッシュの時期に中国からカナダに移り住んだそうです。私は日本とカナダとのハーフですが、父がアジア系ということもあり外見上は日本人と何ら変わりありません。幼少期はあまり自分がハーフであることを意識することもありませんでしたし、周りからハーフだと指をさされることもありませんでした。

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小学校選びは、ハーフの子供を持つ親にとって重要な決断だ

私は小学校、中学校共に地元の公立学校に通いました。しかし私の小学校入学にあたって、母は随分悩んだそうです。インターナショナルスクールに通うか、地元の小学校に通うかという問題です。

私たちが住んでいた街の近くには、カナダ人向けインターナショナルスクールがありました。インターナショナルスクールでは、日本式教育とは違った環境で国際的な教育を受けることができます。その反面、各地から通う生徒が多数を占めるので、どうしても地元コミュニティーとの交流が希薄になってしまいます。「放課後、近所の公園で一緒に遊ぶ友達ができなくなるのではないか」ということを一番心配した母の決断で、私は小中学校を地元の公立学校で過ごしました。

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英語の授業はハーフであることのコンプレックスを感じる瞬間だという

中学校に入る頃から、少しずつハーフであることにコンプレックスを感じるようになってきました。それが顕著に表れたのが、英語の授業です。「カナダとのハーフでいいよね」「英語ペラペラなんでしょ、羨ましいな」といった声をかけられるのです。

しかし、私は英語がペラペラに話せるわけではありません。私自身、英語をうまく話せないことにコンプレックスを感じているほどでした。それにもかかわらず、周りからは「良いな、羨ましいな」と言われる。そんな風に周りの人からプラスに見られれば見られるほど、「実は英語をうまく話せないんだ」「ハーフってそんなに良いことばかりじゃないよ」と打ち明けられなくなっていきました。

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ハーフであることが嫌になって、母親と衝突したことも

英語の先生も、私がハーフであることを羨ましがっているように映りました。授業中、「小林君、この文章を読んでみてよ」「小林君ならこの問題に答えられるよね」といったことをクラス全員の前で言われるのです。当時の私は、これが本当に嫌でした。ネイティブに近い発音を求めて私を指名するのでしょうが、私はあえてカタカナ英語で答えたりしていました。みんなの前で「英語をしゃべれる」ということで目立ちたくなかったのです。

学校の先生は、そういったことを言われる側のことを想像していないんだなと思っていました。同じハーフの方でも、差別を受けてきた歴史のある国の場合は気を配っているようでした。しかしカナダとのハーフだと「いいね」「羨ましいな」ばかり。そう言われ続けることで、逆に仲間外れにされている感覚でした。

ある日、私は母に「将来結婚するなら、絶対に外国人とは結婚しない。自分の子供をハーフにしたくない」とまで言ってしまいました。もちろんその後、そんな事を言ってしまったことを謝りましたが。それほどまでに当時の私は、「ハーフでいいね」「ハーフで羨ましいな」と言われ続けることが苦痛だったのです。