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大企業から途上国へ、意を決したキャリアチェンジ

2015年8月31日
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日本での働き方に性別の差を感じ、海を渡った女性がいる。ベトナム・ホーチミン市で人材コンサルタントとして活躍する木須琴弓だ。国内でのキャリア育成に疑問を感じた彼女は、異国の地でかつての自分と同じ希望や悩みを持つ求職者に活躍の場を提供する仕事に就いていた。

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ベトナムで人材コンサルタントとして活躍する木須氏

私はベトナム・ホーチミン市で人材コンサルタントとして働いています。主な仕事内容は、日本や他の海外諸国、主に東南アジア諸国からベトナムに働きに出たいという方を、ベトナムにある日系・外資系企業に紹介するというもの。自分自身も海外で働きながら、これから海外で働きたいという方をサポートするという仕事です。

私は、学生時代から海外に強い憧れを持っていました。ずっと海外で働いてみたい、海外に住みたいと思っていたのです。しかし、大学卒業後に日本で就職した際にはそうしたチャンスに恵まれませんでした。そこで私は一念発起し、日本で勤務していた会社を離れベトナムで働くことを決意したのです。

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高校1年生での留学で、海外の魅力に取りつかれてしまったという

私が最初に海外への憧れを抱くようになったのは、高校1年生の時です。私が通っていた高校には、学年全体が参加する1か月間の英国留学プログラムが用意されていました。そのプログラムで初めて海外に出たのですが、生まれて初めて海外を経験する私にとって、ヨーロッパの街並みや周り全員が外国人という環境は物凄く新鮮なものでした。その時観た風景すべてを今でも思い出せるほど、私にとっては印象的な出来事だったのです。まるで映画の世界に入り込んだようで、見事に海外の魅力に取りつかれてしまいました。

その時経験した「言葉ではなく人間同士でコミュニケーションを取る」ということも、私にとってはとても面白い経験でした。たとえ言葉が分からなくても、信頼関係や心の温かさを感じ取ることができると知ったのです。そうしたコミュニケーションに面白さを感じ、同時に「もっと英語が喋れるようになりたい」「もっと違う国の人たちと会ってみたい」と思うようになりました。この英国留学以降どんどん海外に興味を持つようになり、大学進学の際も海外につながりのある進路を選ぶことになったのです。

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大学に入ると、アルバイトで貯めたお金で外国を訪れるように

私が入学した大学は、海外の大学と積極的に留学提携を行っている大学でした。世界中から留学生が集まってくることで知られる学校です。私はその大学のことを知った時に、「この大学なら私の求めている、多国籍な人たちとの交流が日本にいながらできる!」と思い、受験を決めました。そして無事に入試を通過し、多国籍な仲間たちと過ごす大学生活がスタートしたのです。

しかし、大学に入学してすぐに国際的な学生生活が始まったわけではありませんでした。入学当初の私は「卒業後の就職のために手に職をつけないといけない」と思い、公認会計士や税理士といった資格を目指して勉強していたのです。しかし大学生活の中で先輩方と交流するうちに、手に職を持っているからといって幸せな生活を送っているかということに疑問を持つようになりました。自分の本当にやりたいフィールドで自分らしさを出している人の方が、生き生きとしているように感じたのです。「手に職を求めるだけの大学生活はもったいないな」と思うようになった私は、大学2年の時に資格類の勉強を辞めました。そして、受験当時に抱いていた「海外とつながりのある大学生活を送りたい」という志を実現させるべく、国際交流の企画団体にコアメンバーとして参加することを決めたのです。

私が参加した国際交流の団体は、留学生をスカウトし「あなたの国のダンスを教えてください」といったことを依頼する、一種のパフォーマンス集団でした。国籍に関係なく、皆で1つのステージを作り上げることを目標とした団体です。世界中から留学生が集まっている大学だけあって、学内には中国・台湾といった近隣アジア諸国からインドやウズベキスタンといった国の方まで様々な留学生がいらっしゃいました。そんな中からスカウトしてきた留学生をリーダーに据え、日本人や他国の留学生がメンバーとなる多国籍なチームを組織します。そのチームで世界各国の衣装を身にまとい、年に2回の公演の機会でそれぞれのダンスを披露するのです。

私はその団体で、協賛金を募るための営業と広報活動を担当していました。営業の活動内容は、大学周辺の飲食店や企業を周り、広告掲載と協賛金の交渉を行うというものでした。私の通っていた大学周辺は典型的な大学城下町で、街全体に大学生の企画を支援する土壌があったのです。そんな環境下で飲食店や企業の方を訪問し、自分達の存在を知ってもらい共感を得るという営業は、本当にやりがいのある活動でした。

広報活動の内容は、団体のTシャツや宣伝用ポスターの発注・管理です。その中でも、団体Tシャツの作成は特に印象に残っている出来事です。私は、「皆が活動期間中、Tシャツを一緒に着て仲間意識を高めて欲しい」「メンバーそれぞれが祖国に帰った時に、Tシャツを見て共に過ごした時間を思い出してもらえたら」という想いで、Tシャツ製作業者に足繁く通いました。

皆で同じ日に着るために、サイズの確認と納期までの集金を確実にする必要があったのですが、国籍が違えば金銭感覚や締め切りに対する考え方も当然違ってきます。そのために集金がうまくいかなかったこともありました。しかし、皆で一緒に着たいという想いをメンバーに伝え集金への協力を仰ぎ、なんとかTシャツを皆に届けることができました。メンバー1人1人がTシャツを嬉しそうに着ている姿を見た時に込み上げてきた充実感は、今でも忘れることができません。

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1年間のドイツ留学で、海外で働きたいという想いが強くなったという

海外とかかわりのある大学生活を送っていた私は、第2外国語として選択していたドイツ語をブラッシュアップしたいという想いから、大学3年から1年間ドイツへ留学しました。もちろん、高校時代に憧れを抱いていたヨーロッパへ行きたいという想いもありました。

留学先の大学では、オーケストラに所属したり、インターンシップに参加したり、他国留学生との交流を深めたりと、日本での大学生活とはまた違った学生生活を送っていました。そうした留学生活を送る中で、私は改めて「自分が一番生き生きしていられるのは、海外の人と一緒にいる時なんだな」ということを実感しました。そこで私は、大学卒業後の進路を決める際に「海外で働きたい」という希望を念頭に仕事を探すことにしたのです。

また、私は大学のゼミで研究していた金融業にも興味を持っていました。私は企業分析や資金調達について研究を行うゼミに所属していたのですが、それがかなり激しく研究に打ち込むゼミだったのです。24時間大学にこもり、仲間と一緒に研究に没頭する。そうして身に着けた金融知識を、金融業なら仕事で活かせるかもしれないと考えたのです。私はそれまで、「勉強したことを活かす」ということを語学以外で経験したことがありませんでした。それだけに、研究で身に着けた知識を仕事に活かせるかもしれない金融業は、私にとっては海外で働くことと同じくらい魅力的だったのです。

そこで私は海外と金融の2本立てで就職活動をはじめてみたのですが、その時私は大学までの人生で感じたことのなかった「ジェンダーの差」を初めて実感しました。海外で働くチャンスのあるメーカーや商社の営業職は、女性であることが必ずしもアドバンテージにはならなかったのです。もし仮にそうした職種に就くことができたとしても、実際に女性が最前線に立って海外に出ることは困難であることが分かりました。もちろんメールや電話で海外とつながるという働き方もモチベーションにはなりそうだったのですが、私が大学生活や留学生活で経験してきた「人と人とのつながり」は得られないのではないかと思ったのです。

そうこうしているうちに並行していた金融業の選考が進んでいき、私は一度金融業で自分を試してみようと考えるようになりました。海外との関わりは趣味に留めて、仕事と趣味を分けて考えようと思ったのです。そして私は、選考が進んだ国内金融機関に就職することを決意しました。ただ、やはり海外で働きたいという想いに未練はありました。そんなにすべてが思い通りになる仕事はないとは分かっていたのですが、「自分がどういう風に生きたいか」「どういう人と付き合っていきたいのか」ということを考えた時に、自分にマッチする仕事にはその時出会うことができなかったのです。