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チリ出身・京都で活躍する針金アーティストの職人魂

2015年8月31日
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京都市東山区で、ひときわ多くの観光客の注目を集める職人がいる。チリ出身の針金アーティスト、ハイメ・ロペス。軍事政権下のチリで育ち、世界40か国以上で活動したアーティストだ。波乱万丈の半生を送ったロペス氏が、京都に店舗を構えるに至ったエピソードを振り返った。

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ロペス氏の製作するメッセージ付き針金自転車”Happy Bicycle”

私が自転車の針金細工を始めたのは今から約30年前。当時のチリは軍事政権下で、様々な自由が制限されていました。私も軍隊に入らなければならなかったのですが、私はそんな争いの世界から離れて生活することを夢見ていました。そしていつしか、観る人に幸せを届けられるアーティストになりたいと思うようになり、針金細工に取り組み始めました。

針金はどこでも手に入り、持ち運びにも便利です。そんな針金を使ったアートの題材として、私は自転車を選びました。自転車は子供から大人まで年齢や性別に関係なく使用することができ、乗る人の健康の助けになり、環境にもやさしい乗り物です。そういった特性を持つ自転車こそ、軍事政権下の人々に笑顔を届ける題材にふさわしいと思ったのです。

19歳の時に初めて針金自転車を作成し、クリスマスプレゼントとして父に贈りました。その作品を父が絶賛してくれたことで、私は今後針金自転車のアーティストとして活動していくことを決意しました。

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1本の針金から自転車が生み出される様子はまるで魔法のよう

軍事政権下のチリで、私たちは大変貧しい生活を強いられていました。そこで私は故郷を離れ、海外で活動することを決めました。当時の私は蓄えもありませんでしたが「針金とペンチがあればアートはできる。失うものは何もない」という希望に満ち溢れていました。

最初に移り住んだのは隣国アルゼンチン、1981年頃のことでした。当時のチリとアルゼンチンは関係が悪く、1978年頃には紛争直前のような状態にまで陥っていました。私は、いわば敵国に行って芸術活動をスタートさせたのです。当初は不安もあったのですが、実際に現地で針金細工を始めるとその不安はすぐに解消されました。芸術活動を披露していると、たとえチリ人であっても敵としては見られなかったのです。

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真剣な眼差しで針金自転車を作成するロペス氏

そんなアルゼンチンでの活動で、忘れられない出来事があります。針金細工の製作風景を見ていた老婦人が、私の手を取って手の甲にキスをしたのです。そして、私の手を護るように神に祈りをささげてくれたのです。本当に感動的な瞬間でした。

それ以降、私の中で考え方が変わってきました。「1か所に住んでいるだけでは世の中のことは分からない。様々な国で生活するうちに、自分の世界が開けていくのではないか」と考えるようになったのです。

そして、私はブラジルやウルグアイといった南米諸国の旅に出ました。中でもウルグアイは当時チリ以上に貧しい国でしたので、ウルグアイでアーティストとして生活できれば世界のどこでも生きていけると思ったのです。そしてウルグアイでの活動で手ごたえをつかんだ私は、南米を離れ世界を旅するアーティストとして生きていくことを決意したのです。

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日本で大学院にまで通ったロペス氏は流暢に日本語を操る

南米を離れた私は世界各地40か国以上を旅してまわりました。その中で、のちに定住することになる日本を訪れたのです。私は外国を訪れる際に、3か月~6か月の期間その国に滞在するようにしています。当初は日本にも6か月ほど滞在するつもりだったのですが、その時通っていた語学学校の友人に「日本に6か月しか滞在しないのはもったいない。日本語は習得にも時間がかかるので、滞在期間を延ばしたらどうか」と勧められました。私自身アジアの文化に興味があったこともあり、滞在期間を2年間に延長し大学に入学して日本文化について学ぶことにしました。

大阪の近畿大学に入学した私は、まず英米文学科に入りました。当時の私はまだ日本語の習得期間中だったこともあり、学内で英語を使う機会の多い英米文学科を選んだのです。そして日本語を習得した在学2年目から、日本の民俗学を学ぶようになりました。各地でフィールドワークを行い、調査結果をもとに論文を書く。書物から学ぶのではなく、実際に現地を訪れることで日本文化を学ぶという大変貴重な体験をさせていただきました。