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芸能界からの転身は、異国の地でのカラオケ店

2015年8月31日
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25年間芸能界に携わってきた男が、海を渡りベトナムでカラオケ店を営んでいる。メンバーズ・ラウンジ「フォルテ」を経営する、出山謙一だ。歌手の夢破れて芸能マネージャーの世界に入り、バブル絶頂期には芸能事務所社長にまでなった男が、その波乱万丈の半生を振り返った。

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ベトナム・ホーチミン市でカラオケ店を営む出山氏

私は2006年1月からベトナム・ホーチミン市でカラオケ店を営んでいます。ベトナムのカラオケは日本のカラオケボックスとは異なり、水商売に分類されます。ご来店いただいたお客様を女性従業員が接客し、お酒を飲みながら歌って騒いで盛り上がっていただくというものです。

私は44歳でベトナムに移住したのですが、そのきっかけは同じくベトナム・ホーチミン市でレストランを経営していた従兄でした。その従兄は事あるごとに「日本食材を持ってくるなら、飛行機代を出してやるから遊びに来い」と声をかけてくれる、私にとっての兄貴分のような方でした。従兄はレストランに加えカラオケ店も経営していたのですが、ある日その店の店長が辞めることになったので代わりにやってみないかと声をかけられました。私はこの話を聞いて面白そうだと思い、深く考えず軽い気持ちでベトナム行きを決めました。最初は「2,3か月海外に住んでみるのも良いかな」という程度の考えだったのです。

しかし実際にベトナムに住んでみると、2か月の滞在が3か月になり、3か月が半年になりズルズルと滞在期間が延びていきました。そして私がベトナム生活をはじめて10か月が経過した頃、勤めていたカラオケ店が区画整理で取り壊されることになりました。これを機に日本に帰ることも考えたのですが、ベトナムでの暮らしが気に入った私は現地に残り、現在の店舗を構えるに至ったのです。

私はベトナムに来るまで、特に海外とつながりのある生活を送ってきたわけではありませんでした。私は高校卒業から25年間にわたり日本の芸能界に携わってきました。バブル絶頂期には芸能事務所を起業し社長まで務めさせていただきましたが、自身の経営能力のなさから入ってくるお金をことごとく失ってしまいました。その時私は「自分にはお金を追う人生は似合わないんだな」と痛感したのです。それ以降私は、お金よりも楽しく人と付き合える生き方を求めるようになりました。この生き方は、ベトナムに移住しカラオケ店を営むようになった今でも、私の大きな支えとなっています。

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英語・ベトナム語が並ぶ中「フォルテ」の看板が光る

私が芸能界に関わるようになったのは19歳の時からです。高校を卒業した私は、歌手になることを夢見てある芸能プロダクションにレッスン生として入門しました。しかし、残念ながら歌手になるという夢が叶うことはありませんでした。ところが、そんな私を芸能プロダクションがマネージャーとして拾ってくれたのです。こうした縁で私は、歌手ではなくマネージャーとして芸能界に携わるようになったのです。

右も左も分からない状態で飛び込んだ芸能界で、私は最初にある女性タレントのマネージャーを務めさせていただくことになりました。最終的に5年間その方のマネージャーをさせていただいたのですが、私はその方に芸能界のイロハをイの字から教えて頂きました。私がその後25年間にわたり芸能界で生きていけたのは、すべてこの方の教えのおかげです。いくら感謝しても感謝しきれない、私にとっての大恩人です。

マネージャーとして鍛えられ芸能界のしきたりを学んだ私は、その後レコード会社に宣伝マンとして転職することになりました。そのレコード会社は、私が歌手を目指すきっかけになった憧れのスターが所属している会社だったのです。宣伝マンとしてではありますが、ずっと憧れていたスターの方と一緒に仕事をさせていただくことができました。憧れのスターとの仕事は、本当に楽しく夢のようなひとときでした。

こうして私は芸能界でのキャリアを積んでいったのですが、30歳を迎える頃に大きなターニングポイントが訪れました。末弟が歌手としてメジャーデビューを果たしたのです。